僕と榎戸

《ー皆様、当機はまもなく着陸態勢に入ります。お立ちのお客様はー…》

気圧のせいか耳が痛くなってきた。
飛行機には人生で数回ほど乗ったけれど、着陸するあの瞬間だけは未だに慣れない。

そんなことを考えているうちに、僕らを乗せたこの飛行機は無事空港に降り立った。
ゲートを出ると、クラスメート達がベルトコンベアから順番に流れてくる大量の荷物を待っていた。

こりゃ時間かかるな…
この中で唯一身軽であろう僕はそう呟きながらその場を華麗にスルーした。

荷物待ちの人集りを抜け、一人座っていると向こうの方から馬鹿でかい声で僕の名前を叫ぶやつがいた。

「おーーーい!文明〜ぃ!!」

図体も野獣のように馬鹿でかいその男は全速力でこちらへ駆け寄ってきた。

僕の大親友、榎戸(えのきど)だ。

「よっす。」
「文明ここに居たのかよ〜!探したぞ!」
「榎戸、やけに身軽だな。荷物待ちか?」
「え、荷物?そんなの持って来てねーよ!!」

榎戸は一点の曇りもない眼差しでそう答えた。

僕の中で、今年最大級の衝撃が走った。

あまりの衝撃に言葉を失っている僕をよそに、榎戸は屈託のない笑顔で話を続けた。

「お前も何も持たずに来たのか?やっぱりな!そうだと思ったんだよな〜」

そうか、馬鹿野郎の親友はやはりとんでもない馬鹿野郎だったんだ。

僕は妙に納得し、胸に熱く込み上げる思いと涙を必死で堪え無言のまま榎戸と熱いハグを交わした。

「そういえば文明、お前の父ちゃんそっくりなおっさんをそこで見かけたぞ!」

「ああ、そうなんだ。色々あってさ…付いてきたんだ。まったく困った父ちゃんだぜ。」

数秒前は笑顔だったはずの榎戸の表情が一瞬にして曇る。
「そ…そうなのか?!ついさっき怖い顔した大人数人に囲まれて無理矢理どっかに連れて行かれてたぞ…」

ー 榎戸のその一言よって、再び僕に衝撃が走る。

カリフォルニアフライト。

この日の成田空港はいつにも増して混雑していた。

修学旅行のシーズン真っ只中の8月は、僕たちが日本を離れる代わりに海外からの旅行 客が傾れ込む人口移動の多い時期でもある。特に中国人向けのパスポートフリーキャンペーンを国家予算で賄い始めた2180年(ニーハオの年)からは、空港 は中国人の無法地帯と化していた。これが今の日本の有り様なのだ。彼らが日本へ来なければ経済は破綻してしまう。世界中が32億人の中国人を求めて様々な 政策を国レベルで打ち立てているのだ。

僕は彼らの熱気と波に飲まれないように、集合場所A312へ足早に向かった。いや、正確には「僕ら」なのだが—。

「おーい、文明!こっちこっちー!」

聞き慣れた声を辿るように視線をやると、ゴミ屋敷のようにぞんざいに荷物が積まれた一角が目に飛び込んで来た。頂上には「A312」の案内ボード。僕らの集合場所だ。

「お前、荷物はどうした!?」

両手にボストンバッグを抱えた汗だくの男がふらつきながら駆け寄って来た。クラス一の秀才、工藤美智也だ。

「俺、今年こそ古のパイセン伝説に挑戦しようと思ってるんだ。だから荷物はなし。」

「馬鹿野郎か、お前。、、、死ぬ気か?」
美智也の顔から汗が引いていた。

「俺は死なないよ。伝説の男になるまではな!」
少し震えた声でそう叫んだ。

美智也は初めて見せる苦痛に満ちた顔を隠す様に僕に背を向け、黙って歩き出そうとした。

「待てよ!お前の力が必要なんだ!」
僕の直感が、そう言わせていた。今回の旅では彼の頭脳がおそらく必要になる。

「頼むよ、美智也。絶対お前には迷惑を掛けないから。一生のお願いだ。」

美智也が首を縦に振ったころには、158名の生徒と父さんと膨大な荷物を乗せて無事飛行機は飛び立った。12時間のフライトの途中、彼らはぐっすりと休んでいた。

一睡もできなかった僕は窓からずっと外を眺めていた。
雲の切れ間から見た事も無い壮大な大地が広がりが見え始めた。

「カリフォルニアだ・・・!」

僕は不安と興奮で押しつぶされそうな心に気づかないふりをして隣でぐっすりと寝ている父さんを眺めていた。

父さんの秘密

眠りにつこうとした次の瞬間、ドアが開いた。

「起きろ文明!」

文明「ん・・・どうしたんだい父さん・・・?」

父「・・・お前、明日修学旅行だろ?言えよ。」

文明「ごめんなさい。」

父「・・・ところでお前、古のパイセンを知ってるか?」

文明「あたりまえだよ。憧れの的だよ。」

父「そうか。だろうな。・・・お前が豆高に入り、修学旅行に行く前には話しておこうと思っていたがギリギリになってしまった・・・すまない。・・・あいつは俺の双子の弟なんだよ。」

文明「え?父さんは45歳じゃ・・・?」

父「ああ、留年さ。・・・そしてあの修学旅行の日。俺はあいつに手も足も出なかった。あいつは別格なのさ。」

文明「え?なに?どういうことさ父さん。」

父「ん?・・お前この荷物のなさ・・・まさかやる気か?」

文明「・・・。」

父さんとは幼少の頃から上手く会話ができない。

そこがまたリスペクトを誘った。

父「死ぬぞ、お前。・・・だが、行ってこい!」

文明「はい!」

そう言うと、父さんは一枚のメモを手渡し、口元にかすかな笑みをうかべながら部屋を出て行った。

僕の父さんは、小5のころから現在に至るまで、一族の中で「ゴッズ」と言われている。そう聞いた。
その父さんでも「古のパイセン」には手も足も出なかった。

「ワクワクするぜ」

僕の中のリトル目祖歩田宮が言った。

そして僕は、眠った。

・・・

次の朝、修学旅行当日。お父さんが行くと言いだした。

修学旅行前夜

僕、目祖歩田宮 文明(メソポタミヤフミアキ)が通ってる豆俵高校の修学旅行は毎年カリフォルニアに行く事で有名な高校。しかも90泊94日のワンシーズン丸ごとスタイル。

そして、今年もその季節がやってきた。

明日から待ちに待った修学旅行だ〜!!!!やっほーい!

今日は荷造りに追われそうだ。

ふと、ある事を思い出した。

「20年前、ある男が荷物ゼロで90泊94日の修学旅行を成功させた!」

という伝説がある。その男は「古(いにしえ)のパイセン」と呼ばれており、この辺りからのKIDSから尊敬されていた。

もちろん僕もその一人である。

いつか古のパイセンの様になりたいと心の底から願っていた幼少時代を思い出した。

「今がそのチャンスではないのか」と僕の中のリトル目祖歩田宮が言った。

僕は僕の中のリトル目祖歩田宮に従った。

僕は荷造りをせずに床に就いた。